2014年08月19日
脂肪燃焼なるか?スープカレー
昨日から、朝スープカレーを始めました。なんでも、脂肪燃焼にいいという夫の提案です。真偽の程はわかりませんが、今日で2つ日めであります。忙しい朝には、圧力鍋が便利ですね〜もっと、野菜をごろごろ入れたら、身体にいいかも。でも、油では揚げません。

Posted by hamayuri
at 11:10
2014年08月19日
大きな虹
おととい見た虹。夕日にしてはやけに明るいなと思って、ベランダから空を見たら、なんと、大きな虹がかかっていました。わが家の前は、教会なのであります。おまけに、二重の虹にまで発展していました。素晴らしい〜



Posted by hamayuri
at 11:05
2014年08月19日
島の入道雲(高太郎)
天気がようやく安定してきて、こんなに力強い入道雲がもくもくと広がっています。これが、喜界島ではタカタロウ(高太郎)というのですね〜

Posted by hamayuri
at 11:02
2014年08月18日
南日歌壇&詩壇 8/14掲載分
ながらく、出張しておりまして、留守をしていました。帰って来たら、なんと、畳にカビがうっすら生えていて!カビ、カビ、カビが生え〜という感じで、一日半は掃除洗濯に明け暮れておりました。
南日本新聞に掲載されていたのがせめてもの喜びでありました。
歌壇では、二つ掲載
●梅雨開けてタカタロウ雲に出会う夏一年ぶりのたくましき顔(小島ゆかり選3席)
(評)喜界島では積乱雲のことを「タカタロウ雲」と呼ぶそうだ。親しげな呼び名によって、
久しぶりに再会した雲の擬人化が、よく生きている。)
※タカタロウは、高太郎ですね!
●海見島、 阿麻弥島また雨見島 その名を付けし古代人想ふ(永田和宏選)
※現在の奄美大島は、古代はいろいろな漢字が当てられていたようで、
こんな歌を作ってみました。
詩壇では、以下の詩が2席。掲載日が終戦の一日前だということもあって、採られたのかも。
●喜界島の空に
浜田ゆり子
白いマフラーをして
あなたがこの島を飛び立ってから
もう70年もの時がたちます
あのとき、娘だった私も
こんなにシワだらけの婆ちゃんに
なりました
新米で炊いたあの日のご飯の
なんと美しく哀しい味だったことか
旅立って行く人の
住所なんか聞いてどうするかという
姉らの言葉のままに
見送ってしまったけれど
せめて、この島での2ヶ月間を
あなたの家に伝えてあげられたのに…
今年も8月13日の同じ時刻には
蓬餅を持って、空港横に立ちましょう
あなたは19歳のあの日のままに
婆ちゃんの私には気がつかない
かもしれないけれど
※(通信社の記者をしていたとき、喜界島で特攻隊の少年と交流があったヤエさんという女性から話を聞きました。彼らは異例の2ヶ月間、川嶺という集落の奥で共同生活をしていたそうですが、終戦間近の8月13日に命令が来て、沖縄へ飛び立っていったとか。ヤエさんのなかには、今でも意気揚々としていた1人の少年の姿があるようです。そんなヤエさんの気持ちを詩にしてみました。)
(選評)浜田さんの作品は。特攻隊の記憶です。戦争を知らない世代が増えていますが、沖縄戦のひどい結果は、痛恨極まるものとして子々孫々に伝え、明るい平和の未来を価値とらえなければなりません。日本人の心の復興です。これも哀しみの克服です。
南日本新聞に掲載されていたのがせめてもの喜びでありました。
歌壇では、二つ掲載
●梅雨開けてタカタロウ雲に出会う夏一年ぶりのたくましき顔(小島ゆかり選3席)
(評)喜界島では積乱雲のことを「タカタロウ雲」と呼ぶそうだ。親しげな呼び名によって、
久しぶりに再会した雲の擬人化が、よく生きている。)
※タカタロウは、高太郎ですね!
●海見島、 阿麻弥島また雨見島 その名を付けし古代人想ふ(永田和宏選)
※現在の奄美大島は、古代はいろいろな漢字が当てられていたようで、
こんな歌を作ってみました。
詩壇では、以下の詩が2席。掲載日が終戦の一日前だということもあって、採られたのかも。
●喜界島の空に
浜田ゆり子
白いマフラーをして
あなたがこの島を飛び立ってから
もう70年もの時がたちます
あのとき、娘だった私も
こんなにシワだらけの婆ちゃんに
なりました
新米で炊いたあの日のご飯の
なんと美しく哀しい味だったことか
旅立って行く人の
住所なんか聞いてどうするかという
姉らの言葉のままに
見送ってしまったけれど
せめて、この島での2ヶ月間を
あなたの家に伝えてあげられたのに…
今年も8月13日の同じ時刻には
蓬餅を持って、空港横に立ちましょう
あなたは19歳のあの日のままに
婆ちゃんの私には気がつかない
かもしれないけれど
※(通信社の記者をしていたとき、喜界島で特攻隊の少年と交流があったヤエさんという女性から話を聞きました。彼らは異例の2ヶ月間、川嶺という集落の奥で共同生活をしていたそうですが、終戦間近の8月13日に命令が来て、沖縄へ飛び立っていったとか。ヤエさんのなかには、今でも意気揚々としていた1人の少年の姿があるようです。そんなヤエさんの気持ちを詩にしてみました。)
(選評)浜田さんの作品は。特攻隊の記憶です。戦争を知らない世代が増えていますが、沖縄戦のひどい結果は、痛恨極まるものとして子々孫々に伝え、明るい平和の未来を価値とらえなければなりません。日本人の心の復興です。これも哀しみの克服です。
Posted by hamayuri
at 12:07