2015年09月17日
白蟻駆除しました!
わが家のキッチン回りに巣をつくっていた白蟻は、なんと、換気扇あたりから入り込んで来たようです。実は、以前、換気扇の外でヒヨドリが子育てをしていたようで、ピ−チクパーチク賑やかな声がしておりました。外からは見えなかったので、ほほえましいこととして、ほっておいたのですが、そこを中継所として、白蟻が入り込んで来たらしいのであります!!
キッチンのパネルやら、タイルやらをはずして、大々的な駆除をしたのでありますが、3階にある換気扇を取り外し、新しく虫が入り込めない物に変えました。
こんなクレーン車を準備してもらったので、とにかく隣近所さんもなんだろうと、噂していた事でしょう〜こうして、ようやく昨日の夜から、きれいになったキッチンを使うことができました。ああ、しんど!
キッチンのパネルやら、タイルやらをはずして、大々的な駆除をしたのでありますが、3階にある換気扇を取り外し、新しく虫が入り込めない物に変えました。
こんなクレーン車を準備してもらったので、とにかく隣近所さんもなんだろうと、噂していた事でしょう〜こうして、ようやく昨日の夜から、きれいになったキッチンを使うことができました。ああ、しんど!

Posted by hamayuri
at 17:38
2015年09月14日
エコツーリズムの経済性を研究

土曜日に、こんな素敵な人が取材に見えました。鹿児島大学大学院で学んでいる 宋(そん)多情(ダジョン)さん。韓国の出身ですが、日本語を器用にこなします。奄美など島が好きで、現在は奄美と鹿児島大学を行き来しながら、奄美エコツーリズムと経済性を研究しているのだとか。
奄美でエコツージルムが成り立ち出したのは、おそらく当社で制作した金作原のポスター「風になれ」ができてから。当時、役所の担当者を含め,奄美の観光はほとんど海でした。そんななか登場した森の精を表現したようなポスターは意表をつき、張れば取られるという奄美ではあり得なかった状態が出現したのです。ゴジラの映画も撮影され、地元のタクシー運転手さんからも、お客さんが行きたいと言うけど、場所がわからないという電話がかなり頻繁にかかってきたものです。
金作原は一躍有名となり、雑誌等でも大きく取り扱われ、今のエコツーリズムの老舗といわれる人が、ガイドの仕事を思いついたと言う事だそうです。金作原はいまや、バスが森の入り口にまで出向く奄美を代表する観光スポットとなっています。
とまあ、こうしたことをいろいろ突きつめて、ようやく、取材に訪れたのでした。分からなかったことがいろいろ溶けて来て、とってもうれしいと笑顔いっぱいでした。早く立派な研究者になってね〜
Posted by hamayuri
at 15:38
2015年09月11日
三島村 ジオパーク認定

9月5日に、鹿児島県の三島村が日本ジオパークに認定されました。三島村は、約7300年前に噴火した鬼界カルデラの外輪に位置する硫黄島と竹島と、黒島で構成されています。
私は2010年に、メンドンという面踊りが見たくて、硫黄島へ行ったのですが、その海の色に驚きました。港は、赤土が膨大に流出したかのような赤茶色なのですから。この島は、俊寛が流された島として有名だったので、その怨念かと一瞬思ってしまいました。
でも、違うのですね〜。昔から硫黄が採れ、その鉄分を含んだ硫黄が海に流れ出たのだそうです。怨念ではなく、ちゃんと科学なのですね〜。
1日めにメンドンを見たあと、黒島へ行く予定でしたが、メンドンは2日めが面白いということで、急きょ、黒島をキャンセル。船の都合で、簡単には次の島へ行けないので、硫黄島だけで帰ってきましたが、是非、いつか竹島、黒島へも行ってみたいものです!
写真は、硫黄島(いおうじまと読みます。小笠原の硫黄島は「いおうとう」と読むのだそうです。)の港。
Posted by hamayuri
at 11:30
2015年09月04日
これって、猫対策?
ペットボトルをおいて、猫対策にするという話は聞いたことがありますが、これって、本当に効果があるのでしょうか?それにしても、ものすごい量のペットボトルですよね。相当、猫が嫌いなのでしょうか?

Posted by hamayuri
at 18:16
2015年09月03日
喜界島の白ごま
喜界島は、日本トップの白ごま生産地。昔からの品種のため、香りがとてもいいのだそうです。写真のように、天日干しされていました。そういえば、ヤエさんからも、自家栽培のゴマをいただきました。かなり、日焼けしていたのは、農作業しているからなのですね。

Posted by hamayuri
at 15:44
2015年09月03日
ヤエさんを囲んで
現在の喜界島空港の横に、海軍航空基地戦没者慰霊碑があります。この慰霊碑の前で、ヤエさんにお会いしたくて、戦後70年という節目に伺いました。
ヤエさんは、かつて、この地から沖縄に向けて出撃していった特攻隊の人々と親しかった方で、共同通信の記者だった10年ほど前に取材させてもらいました。喜界島の特攻関連記事は、その後、各地方紙に記事が配信され、ヤエさんの存在を知ったご遺族とはその後、やりとりが続いているそうです。これは、とてもうれしいこと。私の記事でつながったのですから。
ヤエさんは、今でもよく取材されるそうですが、私の記事が発端であったため、いつも「浜田さん、浜田さん」といっていて、「今年は来るかね〜」と、心待ちにしていたとか。3年程前にお会いして以来、行っていなかったのですが、変らずお元気な姿に、私もとてもうれしかったです。
特攻隊の一等飛行兵曹だった星野實さん方が飛び立った8月13日の6時半、役所や有志の方々も集まり、追悼いたしました。この写真は役場の方が広報紙に載せる為に、撮影してくれたものです。
ヤエさんは、かつて、この地から沖縄に向けて出撃していった特攻隊の人々と親しかった方で、共同通信の記者だった10年ほど前に取材させてもらいました。喜界島の特攻関連記事は、その後、各地方紙に記事が配信され、ヤエさんの存在を知ったご遺族とはその後、やりとりが続いているそうです。これは、とてもうれしいこと。私の記事でつながったのですから。
ヤエさんは、今でもよく取材されるそうですが、私の記事が発端であったため、いつも「浜田さん、浜田さん」といっていて、「今年は来るかね〜」と、心待ちにしていたとか。3年程前にお会いして以来、行っていなかったのですが、変らずお元気な姿に、私もとてもうれしかったです。
特攻隊の一等飛行兵曹だった星野實さん方が飛び立った8月13日の6時半、役所や有志の方々も集まり、追悼いたしました。この写真は役場の方が広報紙に載せる為に、撮影してくれたものです。

Posted by hamayuri
at 15:33
2015年09月03日
喜界島の掩体壕

喜界島から帰って来てすぐ、新潟へ出かけなければならなかったため、すっかりアップし忘れていたのが、いろいろあります。
まず、これは、戦闘機を格納しておくための「掩体壕(えんたいごう)」。喜界島には旧海軍の中継飛行場があり、鹿屋空港から、あるいは旧陸軍空港からも、沖縄に向けて燃料補給や不時着もふくめ、飛行機が離発着していました。これらの戦闘機を隠すための掩体壕は、この島に50程も造られたとのことですが、有蓋コンクリートで造られたのは、ここのみだとか。あとは木の枝や三方に土盛りをして、カモフラージュしていたようです。喜界島には、こうした戦跡が多くあります。
Posted by hamayuri
at 14:50
2015年09月03日
さとうきび畑に虹!

久しぶりの投稿なのに、白蟻話題では、気分がすぐれないため、掲載し忘れていた喜界島出張の話題にいきますね。
実は8月13日に、喜界島へ行ってきました。ここで、出会ったのが、サトウキビ畑にスプリンクラーで地下水を撒いている瞬間。ほら、虹が出ていますよね。車のなかから、とっさに撮影しました。夏の暑い日差しに、冷たい水がまかれ、虹があがったのですね〜素晴らしい瞬間でした!
Posted by hamayuri
at 14:32